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1年14組【山にゃ】 [1年14組]

席替えが終わって数日後。

昭和57年の頃は、今と違って春夏秋冬のメリハリがハッキリしていて4月は寒かった!
プレハブの教室は隙間が多く、あちこちから風が入り余計に寒く感じた。
なので僕は両手が冷えたので股に挟んで先生の話を聞いていたら、右後方から「先生!やっかマンがオ〇ニーしてます!!」と言う声が静まり返った教室内に響き渡った。

えっ!?なに??俺そんなことしてねぇーよ!
手が冷えたから股の間に入れてただけだよ!と言っても「いや、あれは絶対オ〇ニーだ!」と言い張る。

新米教師のアキ子先生も「んもぅ・・・」と呆れていた記憶が残る。


僕にそんな事を言ってきた奴の名は『山にゃ』。
その日を境に何故か僕らは仲良くなった。
山にゃに「キスをすると子供ができるって蓑さんが言ってたよ」と教えてあげると「そんな訳無いだろ!」と始まり色々な事を教えてもらったんだ。
あの頃は今と違ってパソコンやスマホなんて無い時代だ。
みんなピュアな学生だった気がする。

そして僕は部活はバドミントンにしようと決めていたのだが、化学部の山にゃに『化学部に来たまえ!」と半ば強引に化学部に誘われてしまったのだ。

その頃は部活動とは別に週1回のクラブ活動があった。
仕方なく僕はクラブ活動の方でバドミントンをする事にしたんだ。

小学校時代のクラブ活動はクラスの担任が受け持つ科学気象クラブだったので、まぁその延長戦って感じで悪い気はしなかったが(^^;)

やはりその頃の経験と言うものは後世に影響するものなのだろうか?
その後の進路や現在の勤め先は化学系の仕事に進む事になった。


山にゃはセコイ男だった。
ある日、自分の小遣いのお札の番号控えているとつぶやいた。
なんで?と聞くと、彼の財布からお金が抜き取られる事件が起きたそうだ。
1度では無く数回・・・
対策としてお札の番号を控え、抜き取られた時に家族に確認するためだと言っていた。
僕は返す言葉が見当たらず閉口するだけだった。

だけど彼は本が好きで特に軍事や政治に詳しかった。
僕も彼の影響でどっぷりハマり彼の事を「ジーク!やまにゃ!!」と威勢よく教室中に叫びまくった。
夏休みの自由研究の宿題も共同で行うことになった。

テーマは『地元の石仏』。

地元の石仏を調べるため図書館に何度も足を運び資料をあさり、身近な道祖神を調べたりして充実した夏休みを送る事ができた。
道祖神の数も半端ない事に気づいたのはこの夏だった。

実は中学生になるまで図書館には一度も行った事が無く、初めての経験だった。
館内はとても静かで冷房が効いて凄く快適だった。
家にはエアコンなんて無かったから最高に気持ち良かった(^-^)

今ではどこのコンビニでもあるが当時はコピー機が無く資料のコピーを取るだけでも図書館まで行かなければ無かったので、この夏休みは何度か通った。


やまにゃとは1年14組だけの友達だったが、忘れる事は無かった。
時々風のうわさでやまにゃの名前を耳にした。

彼もまた僕のことを忘れては居なかったようで、30年以上の歳月が過ぎ某SNSで僕を見つけてくれて、便利な世の中になったもんだとつくづく感心した。

SNS上での再会でリアルにお会いした事は無い。
これもまた今の時代の付き合い方なのかも知れないな(笑)


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1年14組【席替え】 [1年14組]

入学式が終わって数日後、席替えが行われた。

席替えと言っても自由席から名前の順に座らされただけなのだが。
僕の席の前は『サイト-マン』、後ろは『ジョー』になった。

サイト-マンは小学校3年生の時に同じクラスになった事があり、お互い覚えていた。
ジョーとは小学校1~2年の時に同じクラスだった。もちろんお互い覚えていた。

ジョーは小学校1年でハードコンタクトを着用しビートルズをこよなく愛する少年で不思議な存在だった。
僕も親の影響でビートルズの曲は何曲か知っていて適当な英語で口ずさんでいたが、彼は違った。
僕の記憶ではちゃんと歌っていたように思う。

ビートルズが縁と言う訳ではないが、名前の順が僕が前でジョーが後ろだった事もあり、とても仲良しだった。
彼は中学に上がっても英語の歌詞の曲は普通に口ずさんでおり、小学校6年生の時に公開された映画『リトルプリンス』の英語の主題歌や、少年隊の錦織一清さんがCMに出ていた『キャンパスリップ』のCMソングを流暢に歌っていた記憶が残っている。

中学卒業後は県内でもトップレベルの高校を経て箱根駅伝でも名だたる大学へ進んだ。
卒業後は有名ホテル勤務と同級生から聞かされた。

そんな春風満帆?と言えるような人生を送っていた彼も1年14組にの時、我が教室の2階にある職員室の黒板に大きく『14組のガン!ジョー!!』と書かれていた事があった。

恐らく当時の学年主任が書いたのだろうが、今そんなことをしたら大問題になっていただろう。
なぜ、黒板に『14組のガン!ジョー!!』と書かれていたのかは後の物語で綴ろうと思う。



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1年14組【入学式】 [1年14組]

これからお話しするのは今から40年前のお話しです。

1982年4月
いよいよ中学生活の始まりだ!

黒い学帽に金ボタンの学生服、頑丈な造りの白い肩掛けカバン。
空気は冷たく散り始めた桜の木が植えられた正門をくぐり、ワクワクしながら中学校の体育館の入口で受付を済ませた。

あなたは14組の列の座席に座ってくださいと言われ着席する。

来たもん順で座らされるんだけど、小学校の時のクラスメイトは14組の列に誰も居なかった。
他のクラスの列には同じ小学校のクラスメイトや違うクラスの顔なじみが着席していた。
ちなみに小学生の時のクラスは6年3組だった。


僕が入学した中学校はまさにマンモス校でして、この時の新入生は15クラス、人数にして600人は居ました。

6年3組の奴は誰と一緒になるんだろう?
3組時代に仲良しだったフルさんと同じならいいな~(・∀・)
なんて、ワクワクして待っていると、だみ声でチリチリ頭のヤヨイさんがやって来た。

なんだぁ~女かよぉーと落胆していると、もう一人やって来た。
彼はミスターと言うあだ名でして、小学校のガキ大将でした。

また、ミスターと同じクラスかよ~~~~~~щ(´□`)щ オーマイガーッ!!
一瞬にしてワクワクした気持ちからブルーな気分になりました。
6年3組のクラスは4年生の時から同じクラスで、クラス替えが無く進級したので勘弁してくれ~~
くれ~~!って感じだったのです。

中学になっても一緒になりたかったフルさんは11組になりました。

式が終わり教室に移動するんだけど、これが驚いた事にプレハブ校舎でした。
本校舎は2~3年生で既にいっぱいなので、1年生は15クラスと職員室、美術室がプレハブ校舎だったのです。
僕の14組は一番端っこで、唯一2階建てのプレハブ教室でした。
1階は14組と15組が使用し2階は1年生の教員用の職員室と先生方の更衣室兼ミーティングルームでした。

教室に入ると普通なら座席が名前の順で準備されてるはずなんだと思うけど、なぜか来たもん順の自由席でした。

僕とミスターは廊下側に座りました。
廊下と教室はガラス窓で仕切られておりました。
小学校の教室は廊下と教室の間には黒板や掲示板があるので新鮮だったのです。

僕はミスターの前に座り二人で教室中を眺めていると、隣におさげの女子とほっぺの赤い女子が座りました。
しまむらさんと簑さんと言う女子だ。
僕らとは違う小学校の出身で2人は仲良しのようだ。

しまむらさんは少し照れ屋な子だったけど、蓑さんはフレンドリーで初日から僕らと仲良くなった。
しまむらさんはおさげが似合い、蓑さんはほっぺが赤くとても可愛い顔をしていた。
実際のところ違うだろうが自分の赤いほっぺをりんご病なの!と言っていたので、赤いほっぺを気にしていたんだろう

暫くして担任の先生の挨拶が始まった。
先生は大学を出たばかりの新米女教師アキ子先生でした。
アキ子先生は定年まで教師を続けていたようで毎年発行される県内の教員の異動や退職の新聞に名前が載っていたので、あぁ先生は定年まで教師を頑張って続けていたんだなぁと思いました。

定年退職の名前の欄にアキ子先生を見つけた時は14組の記憶が甦り、暫くの間ずっと回顧しておりました。



先生の挨拶が終わりプレハブ教室の外に出ると、みんな記念撮影していました。
この日は天気も良く朝は肌寒かったがポカポカ陽気で暖かい。

もちろん僕もプレハブを前に撮って貰った。


そして、1年14組の時の物語は自分にとって一生忘れえぬ記憶となるのであります。






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